今ごろ、三内丸山遺跡は、すっぽり雪に覆われていることでしょう。
この季節になると、今は亡き民俗学者の大林太良先生が、シンポジウムで言われたことばを思い出します。
「狩猟採集民にとって、
夏は、俗なる季節、
冬は、聖なる季節です。」
別に、夏をおとしめてるわけではありません。
夏は、生業の季節であり、漁労とかさまざまな共同作業に精一杯取り組む時期です。
そして、冬。
この季節には、夏の、生業のために長老が支配する共同体の組織とは、まったく違う組織と精神世界が展開します。
若衆宿みたいなものといったらいいでしょうか。
若者が、一人前になるための通過儀礼が、若者たちのペースで進められます。
ときには、荒々しく、ときには、内省的で神秘的な時間が流れます。
その意味で、冬は、夏の生業の季節とは異なり、すべてのものをまっさらにして、
自己再生する季節でもありました。
現代の私たちは、夏も冬も変らず、一年中、共同体の組織にがんじがらめになっています。
せめて、白銀の三内丸山遺跡を思いつつ、狩猟採集民の「冬・聖なる季節」に思いをはせてみたいものです。
来るべき年も、引き続き、縄文から、元気をもらっていきたいと思います。
新年も、どうぞよろしくお願いします。