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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第53回 縄文ロマン – 土偶だいすき女子との対話 2016年1月20日

土偶に熱中するのは女の子が多いように思う。かつては土偶をシャコちゃんとよんで熱狂していた漫画家でエッセイストの杉浦日向子さん、いま、縄文ファンに連載しているコラムニストの山田スイッチさんはまるで土偶にトランスしているみたいだ。平成28年8月末から9月初めにかけて京都で開催するWAC(世界考古学会議)のプレイベントの一つとして、このあいだ誉田亜紀子さんとトークイベントをやったときも同じ思いがした。

彼女は土偶を「お人形」だと思っているようだ。何千年も前に自然の中で暮らしていた縄文人がつくった土偶について、ここが素敵なのよ、かわいいのよ、と興奮してキャピキャピ語る、その切り口がさわやかだった。ボクは男の子なのでそんな仲間に入るのは恥ずかしいし、これでも学者のハシクレだから一席、講釈をぶちたいのだが(ぶったけど)、ひるんでしまってなんだかいつもの調子が出なかった。

少人数の会だったので定番のスライドを使わないで、おみやげにかってきた3万年前のヨーロッパ旧石器時代のヴィナス、各地の工作教室から貰ってきた土偶、実家にあったヘレニズム式の裸女像、それにマリリン・モンローまで会場に並べて親しく触ってもらうことにした。これは国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんの共同研究「さわって楽しむ博物館」で、触ることの大切さをひろめるために数年前からやっている活動の一環である。

実物大のものを手にとって見ると、初期のものは小さく、すべすべしていて、お守りやアクセサリーのように身につけていただろうこと。それが時代が進むに連れて次第に大きくなり置物風になるのは、神像や飾り用のものが出現したこと。また、乳、腹、尻、(ときには)女性器の表現があることは基本的に安産や豊饒をねがったこと。そんなことが実感できる。人形はマリリン・モンロー像のように、男性のあこがれや性的願望もこめられているのだが、とにかく、すぐれて女性的なものである。さらに、時代とともに土偶の意味や使い方が多様化していったことがわかる。ただし、私のコレクションは雑然とあつめたガラクタばかりで壊れやすいので、将来は3D技術を使った丈夫で軽いサンプルをつくれればいいなと思った。

考古学は縄文文化を理解するために欠かせないものだが、「学」が他者の意見を排除しがちであることは事実である。学者の意見はいつも正しいのではない、一つの発見がそれまでの正論を覆してしまうことさえあるからだ。幸い日本には古代史に興味をもつ人が多いが、それは人々の夢やロマンがこころの底にあるからだと思う。土偶女子と自称する誉田さんとの会話で、学問の枠をはずした、こんなアプローチもあるのかと眼からウロコが落ちた思いがした。

*誉田亜紀子 2014 『はじめての土偶』世界文化社
広瀬浩二郎 2012 『さわって楽しむ博物館』青弓社

土偶写真

三内丸山遺跡では2000点以上の土偶が発見されている。笑っているような、怒っているような、唄っているような。それぞれの表情はゆたかでかわいい。(写真は北海道・北東北の縄文遺跡群ホームページより)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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