先日、三内丸山遺跡で、五感を使って、縄文土器を楽しむという画期的な試みが行われました。視覚障害者の人たちが、土器に触ったり、土器作りを体験したりしました。
これは、国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さんと、名誉教授の小山修三さんを中心とするプロジェクトの一環だそうです。
つまり、「視覚障害者の立場に立って、『見る』だけではなく『さわる』『聞く』『嗅ぐ』『味わう』ことにも通じた、五感で楽しめる博物館を創りたい」という目標のための調査研究だそうです。とても、興味深い試みです。
いろんなことを考えさせられます。
前から思っていたことですが、縄文人の感性に迫るには、通常の方法では意外に、難しいのかもしれません。
五感(five senses)についてみると、縄文人は、現代人に比べて、はるかにとぎすまされたものを持っていたのではないでしょうか?
そのためには、かえって、目の不自由な人の鋭敏な感覚が参考になるかもしれません。
話は変りますが、先日の東京縄文塾で、東大教授の辻誠一郎さんは、「縄文の色文化」と題して、こんなことを言われました。
「土器の色は、われわれには、みんな同じような土の色に見えるけれど、縄文人には、微妙にその違いが識別できていたのではないか?」
これも、縄文人の五感について、同じことを別の角度から、言っているような気がします。
さらに、縄文人の感性を探るには、もうひとつ難しい「溝」が、横たわっているようです。
以前、縄文時代の音楽についてお話を聞いた時、ある先生が言われました。
「今のわたしたちは、どうしても、弥生時代以降の稲作農耕文化の中にある。その延長線上で、さかのぼって縄文人を推測するとどうも違う。
狩猟採集民であった縄文人は、それなりの独特の感性があったのではないか?
音楽で見ると、間違いなくそのことが言える。」
現代のわたしたちと、縄文人の感性との間にある「大きな溝」。
それを越える架け橋として、広瀬先生・小山先生の「五感で楽しめる博物館」構想は、
おおいに期待が持てそうです。
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