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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第61回 風土病(地方病) 2016年10月5日

高校の同窓会誌を送ってきたのでパラパラ見ていたら、神原廣二さん*の自伝的なエッセイが目にとまった。神原さんは長崎大学医学部で熱帯の原虫感染症(マラリア、睡眠病など)という風土病の研究を長く行っていたのだが、きっかけは学生のとき大阪大学アジア医学踏査隊に参加しアフガニスタン、パキスタンに行ったことだったという。海外にあこがれ、世界各地を歩き回ったのは、ほぼ同じ世代の私も同じで、親近感をもった。

興味をひいたのは「マラリアの原因は貧困である」という言葉だった。神原さんによると「マラリアは自然に囲まれた粗末な隙間だらけの住環境の中で発生する。しかし、現在は経済がよくなったため、アフリカやインドネシアなどでも流行は僻地にしか起こらないので、資料となる血液の採集が大変」なのだそうだ。マラリアは4種のヒト感染性の原虫をハマダラカが運んで伝染するのだが、ハマダラカも生育に適した地が必要なので、「ヒトとハマダラカの生態系がうまくマッチしたところ」でのみ流行するという。だから場所と範囲が限られるのである。だから、風土病(地方病)と呼ばれるのだが、熱帯がアブナイと漠然と考えている私たちとは違って、現場に密着した専門家なればこその視点がある。

風土病として日本で古くから知られているのは日本住血吸虫症。淡水にすむ原虫が皮膚から感染して、急性の皮膚炎、高熱、消化器症をおこし、ついには肝硬変や腹水症になって死に至るおそろしい病であった。薬は効かず、川遊びをさけるくらいであとはカミに祈るしかなかったようだ。有名なのは山梨県甲府盆地底部一帯だがほかにも広島、福岡県など各地にある。さいわい山梨県では官民が総力を挙げて取り組んだので1987年には制圧に成功した。決め手となったのは中間宿主であるミヤイリガイの駆除だった。村をすててしまうことさえ考えられたようだが、消毒薬を散布し、水路をコンクリート張りにし、湖沼を埋め立てる。また水田を果樹園に変え農業を機械化するという環境を大きく改変(近代化)して病原の生態系を破壊する方法をとったのである(自然を愛好するものとしてはその負の効果に心痛むものがあるのだが)。日本の風土病は、ほかにも同じようなツツガムシ病や象皮病があり、栄養素の欠乏によるガッチャキ病やくる病もある。

縄文時代にどんな病気があったのかは今のところ骨の異常に見られるものしかわかっていない。しかし、基本的に生活域のせまかった縄文人にとって「ヒトと病原(菌)の生態系が一致したとき引き起こされる」風土病が発生する可能性は高かったはずだ。縄文遺跡の分布を詳細にみると、地方によっては時代毎の変化が結構大きい時期があるし、大きな遺跡が突然消えることもある。その要因の一つに風土病があったのではないだろうか。新しい発想と発掘や技術の発達がそれを解明する日を期待したいと思う。

*神原廣二 2016「熱帯に原虫感染症を追って」『巨龞(きょごう)』第20号、観一同窓会京阪神支部。

住血吸虫の生活環イラスト

住血吸虫の生活環(Centers for Disease Control and Prevention (CDC), translation by Hisagi, Wikipediaより)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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