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連載企画

世界の"世界遺産"から

第85回 リビアのあの世界遺産は今……。 2016年10月27日

2016年7月、トルコのイスタンブールで開催された第40回世界遺産委員会で「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」ほか21件の資産があらたに世界遺産として登録されたが、同時に危険遺産リストも追加となった。その8件のうち5件は、このコラムの第17回でご紹介した「レプティス・マグナの考古遺跡」を含む、リビアの世界遺産である。

レプティス・マグナは、かつてご説明したように首都トリポリから車で1時間ほどの距離に位置する古代ローマの遺跡だ。紀元前111年に結ばれたローマとの友好協定以来繁栄し、2世紀末から3世紀初頭にはこの地で幼少期を過ごしたセプティミウス・セウェルスが皇帝の座についている(在位193年-211年)。当時、北アフリカでは最大の都市だったものの、4世紀の大地震を経て表舞台から姿を消した後はサハラの砂が人知れず降り積もり、17世紀に極めて良好な状態で発見されたのだ。

リビアを訪れたのは、2009年のこと。当時は北アフリカが観光地としてあらたに注目を集めており、リビアでも地中海の対岸にあるイタリアをはじめ欧州のツーリストの姿が少なからず見られたのを覚えている。実に気持ちの良い海風が吹いていたレプティス・マグナの眺めは、地中海の青とともにこれまでの旅のなかでもっとも印象に残る美絵として胸に刻まれた。

その後、ガイド、料理人、運転手の3人とともに3日間かけて巡ったサハラでは、砂の山や谷を車で走りながら歓声を上げながら、旅の仲間として心をひとつに。地べたに車座になって食事を取り、満点の星の下で眠った。雄大な景色にも増していまだに忘れられないのは、いかにも20代らしい大らかな彼らの笑顔だ。というのもトリポリに戻ると、引き続き同行してくれたガイドの表情が一転して強ばったから。自由な砂漠とは異なり、カダフィ大佐の看板があちらこちらに飾られた街中で、彼は常に神経を尖らせていた。

やがて、混沌。今回、リビアの資産が危険遺産リストに加えられたのは、危うい情勢をふまえてのことだ。レプティス・マグナのあの美しい景色は、今、どうなっているのだろうか。あのときの旅の仲間は、元気にしているのだろうか。連絡を取る術は残念ながら失われたが、束の間でもいいから、彼らが日々の暮らしのなかで笑えているよう心から願うのだ。

レプティス・マグナに残る劇場跡。 写真:松隈直樹

レプティス・マグナに残る劇場跡。
写真:松隈直樹

リビアの旅を笑顔で彩ってくれた仲間たち。 写真:松隈直樹

リビアの旅を笑顔で彩ってくれた仲間たち。
写真:松隈直樹

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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