これまで何度も記してきたが、わたくしが旅先でもっとも幸せにひたるのは、妄想を重ねるひとときである。なかでも脳内ドラマが長くなるのは、かつての旅人の心情をたどるケース。南アフリカの喜望峰で、ヒマラヤのエベレスト街道で、はたまたスペースシャトルの発射台を眺めつつのNASAで。旅立ちから帰還まで、いや、その前後も含めて、あれやこれやと思いを馳せてきた。
何度も訪れている三内丸山遺跡「縄文時遊館」でも、当時の交流、交易を描いた図の前に立つと、時間を忘れてたたずんでしまう。地図もなにもない時代にどうやって進路を定めたのか、翡翠を故郷に持ち帰るときや家族と再会したときにどんな思いにかられたのかなどなど、妄想の楽しみは尽きない。
「シルクロード:長安-天山回廊(てんざんかいろう)の交易路網」として2014年に世界遺産に登録された資産群のひとつ、玉門関(ぎょくもんかん)でもまた、飽きることなく過去を思った。玉門関は敦煌から北西に約90キロ、紀元前、漢の時代に建てられた関所で、唐の時代までは都の力が及ぶ最西端だったとか。ここから先は、敵対する騎馬民族にいつ命を奪われてもおかしくないエリア。西へ向かう人はいよいよこれからの緊張を、東から来た人にはようやくここまでの安堵を覚えたことだろう。
その旅の厳しさを垣間見たのは、玉門関から90キロほど離れた「敦煌ヤルダン国家地質公園」である。別名「魔鬼城(まきじょう)」とも呼ばれる一帯は、文字通り鬼が出てきても不思議ではないほど奇っ怪な岩が立ち並んでいた。日差しはじりじりつむじが焼けるほど強く、風はからっからに乾いて、生命の気配は一切、感じられない。その昔、この地に誤って迷い混んだ人がどれほどの孤独を味わったのかと思うと心臓がばくばくいいはじめ、逃げだしたい気分にかられたのを記憶している。
はるか遠くに地平線が広がる情け容赦のない景色を行く道中では、幾度となく大小の蜃気楼を目にした。緑の森が待ち受けているかのような錯覚に湧いたであろう喜びと、そこにたどりつけない空しさ。希望と絶望が繰り返されるなか、それでもなお前に進んだ人々を思い深い感慨にかられた。
蛇足ながら人生という旅のなかでわたくしが、ああ、青森に帰ってきたと実感するのは、旨い筋子巻を食べたとき。おそらく宇宙旅行が当たり前のはるか未来になっても、青森で生まれ育った人なら同じように思うのではないかと、ご飯のなかにきらめくつぶつぶを見ながら、酒をぐびぐび飲みながら、いつもながらに妄想の扉の向こうへと飛んでしまうのだ。

かつては交通の拠点として賑わっていたと思われる玉門関。
写真:松隈直樹

魔鬼城こと敦煌ヤルダン国家地質公園。10億年前、ここは海の底。
写真:松隈直樹