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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第69回 縄文里山ガイド 2017年7月7日

ひさしぶりに青森に行った。今回は三内丸山遺跡で自然を観察しながらゆっくり時間を過ごすことにした。樹木医のSさん(青森の植物にくわしい)と三内丸山応援隊のNさん(野生植物をよく利用する津軽の主婦)と一緒に。2人とももう20年以上、青森の自然について話し合ってきた仲間である。

私は縄文時代の植生がどのように残されているか、あるいは復元されたかを見たかった。
まずわかったのは、現代は植物世界もグローバル化が進んでいて、縄文時代の植生をそのまま復元するのは無理だということ。帰化植物の害は今、大きな問題になっているが、「どんどん引き抜いて排除すればいいんじゃないか」と言ったら、Sさんはニセアカシアなどの猛烈な勢いを止められないし、新顔がどんどん入ってくるし、それよりも現在の風景を作っている生態系を破壊するのが怖いと言う(温室のような遮断スペースならばともかく)。

もう1つわかったのは、現在の土地利用がずいぶん変わってきていることだ。最近まで人間は、水田―里山という縄張りをつくり動物を奥山に押し込んだシステムをつくっていた。ところが里山を放棄したような状態に変わったので、イノシシやクマが里にまで出没するようになったのである。次の日訪れた小牧野遺跡には、クマに注意という看板があちこち立ててあった。「昨年クマの出没情報が出たときにはびっくりしましたが、準備が万全であれば大丈夫です。そのために人が来なくなったということもありません」、さすが、青森人はなかなかのセンスを持っている。

縄文時代は氷河期の後の気候温暖化の中で始まったと考えられ、隆盛を迎えた。この地域ではブナ林からナラ林へと基本植生がかわるのだが、三内丸山遺跡ではクリの花粉が異常なまでに多い。クリが主食としてこのムラの食料を支えていたのだ。民族例でみると、ドングリを主食としたカリフォルニアの先住民は、その林を(今の田畑のように)世襲の財産としていた。同じことはこの遺跡でも言えるのではないか。彼らは組織的に大きな労働力を投入していたはずである。その証拠に、クリの花粉が急減すると遺跡そのものが消えるからである。彼らは土地を分割し管理していたはずだ。私たちは縄文時代のことだからと安易に考えすぎているようだが、縄文人の自然に対する行動はずっと複雑だったと思う。

最近、環境への関心が高まっている。三内丸山応援隊の遺跡ガイドはもっとそれを強調するといい。この遺跡には20年以上の間にたくさんの人が訪れたが、リピーターも多いはずだ。彼らには遺物や遺構のすごさだけではなく、生活の現場を実感してもらいたい。例えばクリの木ツアーというのはどうだろう。クリの木のまわりの下草を刈ってよく観察できるスポットをつくるのである。ウルシ、ニワトコ、クルミなどの有用植物についても同じようにする。出発点は展示室の炭化物がいいだろう。植物には季節性があるので、それを利用して生育、栽培、採集、保存、加工、食事などの様子を組み合わせると年間を通じていくつものストーリーが描けるし、縄文人の生活を実感してもらえるのではないだろうか。

三内丸山遺跡における植生の変遷(辻誠一郎)
(出典/さんまる探訪-三内丸山遺跡ガイドブック)

白い花をつけたクリの木(三内丸山遺跡)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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