前回から引き続き、2017年に世界遺産登録となったイギリスの湖水地方とピーターラビットの関わりについて語らせていただきたい。
ピーターラビットが生まれたのは、1893年9月4日。なぜ日付までわかっているかというと、作者であるビアトリクス・ポターが、少女時代に世話になった家庭教師の息子に宛てたお見舞いの絵手紙に描かれていたからだ。やんちゃな小さなうさぎの物語は紆余曲折を経た1902年、「ピーターラビットのおはなし」として出版され、瞬く間に世界的なベストセラーとなった。
その後もピーターのいとこのベンジャミン・バニー、りすのナトキン、あひるのジマイマなど、愛すべきキャラクターを主役にした物語が次々と発表され、挿絵には湖水地方の景色が背景として描かれた。湖水地方は、ポターが子どもの頃から家族とともに毎年のように夏の間過ごしていた場所。豊かな自然と美しい眺めに魅了されていたポターはやがて、ヒルトップという小さな農場を購入してロンドンから移住する。
田舎暮らしを楽しむ一方、ナショナル・トラストの創設者のひとりハードウィック・ローンズリー牧師の影響で自然保護活動に積極的に関与し、彼女は自分が愛する美しい景色を守るため、絵本の印税で周辺の農場を次々に購入していく。1943年に亡くなった際には約5000万坪の土地がナショナル・トラストに寄贈され、それが彼らの活動の基盤となった。
実は彼女は、最初から絵本作家を目指していたわけではない。幼い頃から動植物の観察に興味を抱き、なかでもきのこや苔といった菌類の研究に心血を注ぐように。その成果は論文として学会に提出されたものの、当時のイギリスは女性が社会と関わるのを良しとしない時代。女性だからという理由だけで門は閉ざされてしまう。
後に高い評価を得たその論文が受理され、彼女が菌類学者として成功をおさめていたら……? 子どもたちはピーターラビットと出会えず、湖水地方の農場の多くは今の姿をとどめていなかったかもしれない。結果として、学会からの冷遇と1冊の本の誕生が湖水地方の運命を大きく変えたと思うと、不思議な感慨にかられる。
2018年にはアニメと実写を組み合わせた、長編映画が公開になるとか。湖水地方の景色をたっぷり堪能しつつ、物語を紡いだビアトリクス・ポターに思いを馳せていただけたら嬉しい。可能であれば、ぜひ、彼の地へ。羊がのんびりと草を食む景色を愛でつつ飲むウイスキーは、おいしさひとしおである。

湖水地方のボウネスにあるピーターラビットのショップ。
写真:松隈直樹

ポターが半生を過ごしたヒルトップ農場。
写真:松隈直樹