「最近は縄文シーンに女性の活躍が目立つね」と考古学者の友人が言った。「たしかに」と答えて跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)という言葉が浮かんできた。
漢字が書けないので辞書を引くと、跳梁は「好ましくないものが勝手にふるまう」、跋扈は「悪人が思うままに勢力をふるう」などとあった。そうか、男たちの嫉妬なのか。
アカデミーの世界は男の世界だった。例えば、私が若かった頃の日本考古学協会の会員はほとんどが男性で、大学の先生もそうだし、権威ある専門書の執筆者もそうだった。それが近ごろ変わってきたことを実感する。
電気・ガス・水道に代表される技術の進歩によって女性が従来の役割であった家事、出産、育児などから解放され、それがグローバルな現象となっているが、ここでは日本の考古学に問題を限ることにしよう。
今日の女性に有利な条件をつくりだしたのは文化財保護法だった。1960年代後半からの経済成長に伴い土地開発が進んだ時、遺跡を守ったのが「破壊の前の調査(記録保存を含む)」を義務付けたこの法律だった。これが比較的厳密に守られたために発掘の規模が大きくなり、予算が膨大化した。その結果、考古学はボランティア的なレベルを超えて、一つの経済圏を形成することになったのである。
文化財保護の仕事は、文化庁と(大規模事業の主体者である)都道府県と市町村の組織の中の埋蔵文化財センター等に委ねられている。それに加え最近では、地方文化の振興の役目が加わってきた。もともと考古学はアカデミーとはすこし違った性格をもつ。歴史や民俗も入れて中央の権威や科学性だけを追求するだけではないからである。特に地方文化がそうである。そこに人口減少という現代社会の問題が絡んでくる。それはとりもなおさず、人手不足となって男性だけなどと言ってはおられなくなり、雇用される女性の数が増えている。文化庁は「大学で実習などの経験を積んでふるさとの文化財関係の職に就いてください」と言い始めている。
このような紆余曲折―女性参加に至るまでの道はもちろん全国的なものだが、三内丸山遺跡においてつぶさに見ることができる。まず、ブームの時の発掘の主力は女性たちだった。テレビが追い掛け回すので自分たちも意見を言うようになり、服装や言葉使いまでかわっていったのに驚いた。その影響だろうか、一般市民もこの遺跡を守り育てるのは自分たちであることを理解したようだ。そしてそれはその後の三内丸山応援隊の活動や民間団体などによるフェスティバルの企画にも受け継がれている。女性たちの意見は、食や衣装、信仰、踊りや音楽を楽しんだかなど、生活に直結した身近なものが多い。確証がないといって言い淀む学者の枠を超えてすそ野を広げているのである。このコラムにも登場する譽田亜希子さん(フリーライター)の「土偶はかわいい」からの発想の展開には意表を突かれた。ほかに土器圧痕のシリコンレプリカ法で活躍中の佐々木由香さん(植物考古学/(株)パレオ・ラボ)の仕事がある。昭和女子大で女性中心の発掘調査団を作り、その経過をブログにあげていることで、発掘の目的がはっきりしていていい。これからの縄文女子力に注目したいと思う。

三内丸山応援隊による「縄文ポシェット作り」体験(三内丸山遺跡縄文時遊館)