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連載企画

あそこのおかあさん縄文人だから -山田スイッチ-

第25回 ちんちんの神様 2010年5月18日

縄文の女性表 先日、青森県の民俗学研究家・田中忠三郎先生と一緒に、目の見える人にも目の見えない人にも、縄文土器に触れてもらおう! という会を設けました。 大きなものは高さ50センチほどの円筒土器から、小さな物は可愛らしいちんちんの付いた注口土器まで……そう、ちんちん……。

私はここで初めて、注ぎ口の下に可愛らしい、タマタマの付いた、注口土器を見つけてしまったのです! 田中先生が言います。 「3000年前に作られた、急須の祖先です。なかなか洒落ているでしょう? 何を付ければ水をうまく注ぐことができるか、縄文人も考えたわけです。このオチンチンがね、500年経つとタマの部分がなくなるんですよ。」 「ええっ!? それじゃ、500年もの間、このタマはなくても注げるなっていうことに気付かなかったんですか!?」

縄文の女性裏 「500年の間に、タマがね、変化していくんですよ。今日は、可愛らしいおちんちんの土器しか持ってこなかったのですが。中には立派なおちんちんもあって、ちょっとご婦人方に見せるのはどうかと思って持ってこなかったのですが。 最初はどう見てもタマだったのが、紋様のようになっていってね。江戸時代の注ぎ口の付いた漆器には、そのタマの名残があるんです。注ぎ口の下に金箔で豪華な紋様が施されているんですよ。そして、やがてその紋様も消えてしまうんですけどね。」 「縄文急須の、ちんちんの名残だったんですね…!」 デザインというものは、文化が進むにつれてシンプルになるものなんだそうです。 それにしても、ちんちんの付いた土器に巡り会うとは……。何故か私はちんちんに縁のある人間なのです。初めて小牧野遺跡を訪れた時も、そぼふる雨が降っていたのですが。たった1人で車で何度も何度も山道を探し歩き、ようやくたどり着いた小牧野ストーンサークルで、私を待っていたのは……ちんちんの神様だったのです。

注口土器と私 それは、どう見ても「ちんちんの神様」としか言いようのない御姿をされた石でした。霧雨のような天気雨の中、その雨もちっとも嫌な感じじゃなかったので。私は初めて小牧野遺跡でちんちんの神様に出会った時、1人で石に抱きついてしまったのでした。 石は日中の日射しを受けてか、とても暖かでした。周りには、ちんちんの神様を囲むように、女性を表す石(恐らく)が配置されていました。 ……さて。ちんちんの土器に巡り会って驚いていると、田中先生が手のひら大の土器を取り出していいました。「この土器は女性を表しています」と。それは私にとって見たことのない、珍しい土器でした。 土を捏ねて紋様を入れた、およそ生活に役立てるために作られたとは、思えない土器。「きっと祭祀の際に使われたのでしょう」と、先生は言います。 平べったくて、1本の線が中心を通ってあり。裏には渦巻き紋様が入っています。 平べったくて、すべすべしていて。 紋様をなぞると渦巻きを感じることができました。 ちんちんの付いた土器、女性を表す土器。大型の円筒土器、装飾の付いたまるで果物皿のような土器、と。たくさんの土器に直に触れることで……目の見える人も、見えない人も。きっと心は古代に誘われていったのではないかと思うのです。

プロフィール

山田スイッチ

1976年7月31日生まれ。

しし座のB型。青森県在住コラムニスト。 さまざまな職を経て、コラムニストに。 著書に「しあわせスイッチ」「ブラジルスイッチ」(ぴあ出版刊)、「しあわせ道場」(光文社刊)がある。

趣味は「床を雑巾で拭いて汚れを人に見せて、誉めてもらうこと」。

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